カナン未来塾(いちみん)大学
自治のあり方を学ぼう 広域合併から考える。
平成13年11月15日開催の公開学習会講演の概要
「合併は住民自治の区域の変更である。」(文責 みずすまし事務局)
北海学園大学法学部教授 森 啓 さ ん
目 次
・はじめに地方分権の背景
・合併の飴とむち
・自治省通知文の内容と理論
・自分の町の運命を,単なる財政問題だけで決めてはいけない
・森啓さんのプロフィール
はじめに地方分権の背景
世界の先進工業国は,どこもみんな同じように地方分権になっています。なぜなのかというと,地域で公共的に解決方策を考えなければならない問題,地域でしか解決できない公共課題が次々出てきているからです。
戦後まもなくは,基盤整備,ハード整備,インフラ整備であったんです。ところがそれがある程度できあがりまして,成熟社会を迎えています。社会が成熟すれば公共課題は「量的基盤整備」から「質的なまちづくり」に移行します。そしてその「質的公共課題」は全国画一の法律や政策では解決できない。地域の実態に合った解決方策が必要です。であるから,世界の工業文明国はどこも地方分権へと制度を改め,政策の国際化に対応しようとしているのです。
そしてまた,成熟社会は次々と前例なき公共課題を噴出しています。例えば,日本でいえば少子高齢化社会はすでに個人の家の問題を超えて,公共的な仕組みを作らないと解決できない。工業技術文明が進んで,社会が便利になったことと引き換えに,環境問題とかかつてなかったような放っては置けない問題がでてきています。産業の問題も同じです。
その前例なき質的公共課題は,統治行政での手法では解決できない。行政が政策主体で,住民が受益者であるとする統治行政を改め,協働のまちづくりに転換しなくては解決できない。前者が「制度分権」で後者が「住民参加」です。
こうした地方分権の流れの中で,地方へ権限を移すことになると,その権限に見合った行財政規模を充実しなければならないという受け皿論をなども出てきて,明らかに今回の合併は地方分権の流れから出てきています。
合併を行政区域の変更と言う感覚で捕らえるのではなくて,自分たちの住む地域社会に,どういう風に自治の世界を創っていくかと言う,自治区域の変更であると捉えていくことが大切だと思います。団体自治と住民自治という言葉があります。お役所任せで,陰で不満を言うのではなく,自分たちが自分たちの町をどうつくるかという住民自治の区域の変更の問題だと捉えることが重要です。
合併の飴とむち
合併特例法によると「平成17年までに合併すれば,合併した市町村の地方交付税の合算額を10年間続けてあげます。」となっています。おそらく何年か経つと「今の国の財政状態から言って10年も減額しないでやるなんてとてもとてもできない。」なんて事にもなるかもしれません。もしそれが確かだとしても「10年間は保証されるんだからそれでは合併しましょう。」となるかどうかです。
地方自治体の町民税や固定資産税の総額と役場職員の人件費の総額はほとんど同じ額です。自主財源だけでは人件費も足りない。これは日本の税制度が明らかにおかしいのです。地方交付税は,税源基盤の弱い市町村の財源を調整をするための交付金ですから,平衡交付金といってました。財源調整をする,配分する全国の組織がないから,とりあえず配分をしてるのが自治省なんです。国から面倒を見てもらっているとかじゃないんです。国からお金をもらわないと地元がやっていけないというのは本来おかしいんです。交付税は国の金じゃないんです。
全国的に財政問題で行き詰まりが来るんだから,合併せざるを得ない,避けて通れない,そして不安になって合併しなくちゃならないのかなあといってるんだけれども・・・。どうしてそれを,反転して現在の税制度に問題があると,税制度を変えるべきだという議論が盛り上がって起きてこないのかと思います。
無力感というか「そんなこと言ってもどうしようもない,仕方ないじゃないか」という非常に弱気な考え方があると思います。それが理想だけれども,現実でないと言うけれど,現実的にものを考えるというのは,どういう方向を目指すのか,どういう方向にもっていかなければならないのか,未来展望,目指すところがはっきり見えて,目指すところに向かって現実をどう変えて行けばいいのかと考えるのが現実主義的志向です。
日本の税財政制度があきらかにおかしいのです。本来正常なものの考え方をすれば,全国の市町村が自主財源である程度やれるのが必要です。 交付税は本来地方の金なんです。
しかし,ここで急転直下,市町村の方も問題大有りなんです。つまり,自分たちが税源を持ってないから,補助金,起債,景気回復の国からの政策で,どんどん借金もしたんですね。しかも,先行き自分たちの町が将来どうなっていくのかほとんど真剣に考えないで,どんどん物事が決まっていくというのが全国にありました。
市町村の方にも「放漫であるとか,自己規律がないとか,先のことも考えないでたくさんの借金をしてる。」という批判もありました。「都市部であがる税金を都市で使わないで地方に持っていっている。」という批判もありました。都市に住んでいる人は,ふるさとを持っています。都市に住む人たちが自分のふるさとが安全で安心して快適に暮らしていくために有効にお金使うことに対して,使うなとは言わないはずです。「政治屋の利害のために無駄使いはいかん。」という批判だと思うんです。地方がなけなしの家計の中で子育てをして,教育をつけて,都会に働きを求めて出て行って,日本を支えてきたという面もあるわけなんです。
しかしまた,翻って,地方がただむやみやたらに借金をするのではなく,自立的に,本当に必要な地域の基礎をどうつくるのかということについての自立した自己努力が必要です。東京まかせ,他人まかせであったという指摘は,あたっていると受け止めるべきだと思います。
これから自分たちの地域をどうつくるかとなると,益々あなた任せにはできない。合併して大きくなると,住民自治だといっても,広大になった地域をどうするのか構想できないのではないでしょうか。合併したさいたま市では,市役所をどこに置くのか,議員歳費,手数料や条例の違い,職員の旧市町村意識や人事への不満などなど帳尻あわせばかりで合併して何の利益があるんでしょう。
自治省通知文の内容と理論
県は自治省からは「合併の利益を徹底しなさい。合併の機運を醸成しなさい。それが県の役割です。」と言われてるんですね。事務次官の通知という形でです。機関委任事務を廃止したんで,表面上は通達ではないんですね。
それに何が書いてあるかというと,
1 県は市町村合併に取り組んで合併の機運を醸成しなさい。
2 推進要綱をつくりそこに合併パターンを示しなさい。(抽象文章だけではダメ)
3 合併パターンは必ず県がつくりなさい。(学識経験者による委員会を利用しなさい。)
4 合併パターンは人口規模を重視しなさい。面積要件は,今後の交通条件の改善と情報通信手段の発達などで合併の可能性を検討しなさい。
5 合併の効果を理解させ,懸念は解消してあげなさい。
6 合併を避けるための広域行政に逃げないように指導しなさい。
ここにあるのはともかく合併を推進せよです。合併促進が前提なんです。県も市町村の側に立ってないんです。県は国からの命令を市町村に落とすんではなく,市町村の側に立って国にきちんというべきことを言って市町村がやりやすいようにするのが県の仕事です。少しも市町村の側に立ってない。
合併のメリットはこう書いてあるんです。
「合併すれば行財政基盤が強化される。」と書いてあるんですね。お金の金額が多くなるということですね。しかし,行政需要が必要な地域も大きくなる訳でしょう。 例えば特別養護老人ホームはどこでも順番待ちでしょ。合併したら行財政基盤が強化されるから,そういった問題も解決するなどと書くんです。でも高齢人口も増える訳でしょ。施設を整備するだけが高齢化社会への対応ではない。隣人,地域が手を差し伸べあう連帯を地域に創ることが重要である。隣人の人々の暖かい眼差しや訪問が不可欠である。その連帯の仕組みを創る営みこそが自治でしょう。
例外的な事象を捉えて「市町村の境界に住んでいる子供は,遠い学校に通っていても合併すれば近くの学校に通えるようになる。」とか,これすなわち合併のメリットと書いてあるんです。
「合併すれば公共施設が整備され,地域の格が上がってイメージがよくなり,行政サービスの水準が良くなり,行財政運営が効率化する。規模が大きくなれば地域イメージの上昇につながる。」と。とにかく「効果」を列挙する。合併の効果を並べるのならば合併の負の効果も掲げるのが公平である。
しかしマイナス効果とは書かないんです。「懸念」と書くんです。なぜ直截に合併のマイナス効果と書かないのか。「懸念」と書くその底には,「合併にはマイナス効果はない。市町村が合併に躊躇するのは誤解から生じている不安なのだ。不安は解消してやればよいのだ。」と言いたいのが見えます。
合併に関して県の役割は,合併ありきの推進をするのではなく,県内の各地で合併の問題を真剣に考える場をつくることだと思います。
自分の町の運命を,単なる財政問題だけで決めてはいけない
ちょうど日本の地方分権は,不幸な巡り合わせの中にあります。日本全体が財政崩壊を向かえている中で,公共土木事業費,社会保障費それから地方交付税を削減せざるを得ないんです。金がないんです。合併しても合併しなくても金がないんです。
合併すれば,首長さんも議員さんもそんなにいりませんし,役所の経費も一つになるから,確かに経費は節減できます。しかし,その分も含めて秤にかけると,地域の人たちが力を合わせて自分たちの町をつくっていこうということが,断然遠のいてしまうのは確実です。どっちをとるかという問題です。「うちの町は合併しないで,国も金がないから力を合わせて経費は節減できるものは徹底的にする。消防,下水道処理などできるものは広域行政で処理する。その上でこの規模で,この町の未来を町に住んでいる人たちと一緒につくっていこう。」という選択もあるんです。合併をすると地域意識が手から離れていきます。今予想されている合併単位では,地域のこととして意識が遠く離れていくんじゃないですか。
今の現状は,町の未来を投げ捨てて,しかもそれ自体も何の保証もない,10年保証の目先利害だけで町の運命を決することが進行しているのではないか。つまり「地方財政をまったく制度として成り立たない地方財政制度にしているものだから,地方交付税が削られると町が成り立っていかないのが目に見えている。その地方交付税が切られるのなら,合併して町の将来を助けないと町の未来はないのではないか。」と言い,「合併は避けて通れない。」などとなるんです。
合併のシミュレーションをして,合併した場合はこうなる,しない場合はどうなるとシミュレーションをしているところがありますが,徒労だと思います。
合併問題だけ切り離して,合併した方がいいか,合併しない方がいいかなどと空に浮いた話をしても,具体的に自分たちの住む町をこうしようという話にならない。架空のシミュレーションしたって意味がないんです。そうじゃなくて,わが町をこうしようという議論をし,その中で,そうだったらうちの町だけではできないから隣の町と一緒にならざるを得ないとなれば合併したっていいと思います。しかし,多くの町ではそうではないでしょう。
合併問題の是非論は,
・自分の町をよく知っているか,あるいは知ろうとしているか,自分の町を大切に,愛情を持っているかどうかが基本にあり,
・自分の町の問題点がきちんと言えて,つまりきちんと見えていて,
・そういう問題を解決するために,合併した方が有利かどうかと考えるべきです。
金がないから合併するということでは,合併問題をあまりにも軽々しくものを処理しすぎるんではないのかと思います。
日本全体が借金財政になって,民間企業なら倒産というくらい財政が窮乏してるんだから,合併をしてもしなくても,この先必死になって,財政がない中で自立したまちづくりを考えざるを得ない状況があるんです。問題は,自治を蔑ろにして,犠牲にしてしまって,住民自治を確立しなければならない極めて重大なこの時期に,町村合併を促進して,何町の町を合併させて,自治を遥かな世界に遠のかせて,内務官僚の言うとおりにしていいのかということです。自分の町の運命をどう決するか,単なる財政問題だけで決めてはいけないのです。
北海学園大学法学部 教授
徳島県 生まれ
1960年 中央大学法学部(法律学科)卒業
1960年 神奈川県庁に入る。
文化室主幹、自治総合研究センター研究部長
埋蔵文化財センター所長(1993年3月退職)
神奈川大学法学部非常勤講師(地方自治論)(1985~1993)
北海道大学法学部教授(公共政策論)(1993~1998)
現在 北海学園大学法学部教授(自治体政策論)(1999 ~ )
著作 「文化行政−行政の自己革新」 学陽書房 (共編著)
「文化行政とまちづくり」 時事通信社 (共編著)
「自治体における政策研究の実践」総合労働研究所(共編著)
「自治体の政策課題と解決方策」 日本経営協会 (共著)
「市民文化と文化行政」 学陽書房 (編著)
「文化ホールがまちをつくる」 学陽書房 (編著)
「自治体の政策研究」 公人の友社 (著)
「自治体理論とは何か」 北海道町村会 (著)
「行政の文化化」 北海道町村会 (著)
「市民の時代」 北海道大学図書刊行会 (共著)
「合併は住民自治の区域の変更である」公人の友社 (著)